業界のファーストフードを創れ
こんにちは
経営者マーケティング研究所
代表の岡田有史(ゆうじ)です。
210円のボタンつけから
「どんなに小さいお直しでも引き受ける」
というのをモットーに
全国100店舗近く展開する、
洋服のお直しビジネスで
業界のNo1企業の
ビックママ守井社長の事例を
ここ2週間お話してきました。
守井社長がビック・ママを起業されたきっかけは、
業界の在り方と顧客ニーズが離れていたからだそうです。
下請け業を営んでいた頃、
若いお母さんが体育の授業で
子どもが使う紅白帽を店に持ってきて
「ゴムが外れた」とおっしゃった。
すると職人が
「これがつけられないの!?」
と言ったため、
お客様は怒って帰ってしまったそうです。
守井社長はこれを見て
「でも今は簡単な直しが必要な時代でしょ?」
と思い、想像しました。
ファーストフード店のような雰囲気で、
カウンターの向こうに笑顔の店員さんがいたら、
頼みたい人、多いんじゃないかな、と。
そして
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埋もれたマーケットを切り拓こう
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とお店を出したのです。
当時の洋服の修理屋は、
敷居の高いお店がほとんどでした。
まず、どこにあるかわからない。
しかも見つけたって、
入るときに重い扉を開けて、
いくらかかるかわからず、
職人さんに「買ったほうが安いよ」
などと言われながら
お願いする状況だった。
守井社長は、
「もっと敷居を低くできないか?」と考えました。
当時は不況、ニーズはあるはず。
仮にファーストフード店のような雰囲気で、
カウンターの向こうに笑顔の店員さんがいたらどうだろう?
と。
技術だって、気にすることはない。
守井者長は、
学生時代にファミリーレストランでバイトをしていたため
「セントラルキッチン」
の仕組みを学んでいました。
綺麗な店舗でお直しをもらい、
技術的に難しいものは
当社の修繕工場に運んで修理すればいい。
思い切りました。
仙台で、1号店を始めたのです。
すると……
どんどんお客様がいらっしゃった!
守井さんはお客様に
「なぜ当店を選んで下さったんですか?」
と聞きました。
すると
「こういう気軽なお店が欲しかった」
と言われ、
自分の考えは間違ってなかったと確信し、
そこから1年に1店舗ずつのペースで
東北を中心に事業を拡大していきました。
その後どんどん東京進出して、
東京でもニーズはあるんだ、と思った瞬間、
次々に出店のお誘いがありました。
蒲田の駅ビル、
渋谷の路面店、
丸ビル、
横浜の地下街、
渋谷の109、
吉祥寺……
電車の窓から「ここにお店を出したい」
と思っていた場所に、
どんどんお店を出し始めました。
創業ストーリーとして
なるほど!!!
と思わせられます。
本当に
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埋もれたマーケットを切り拓こう
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を実現された。
そして
「その業界の中で
ファーストフードになるようなものを発明した」
ということ。
お直しの業界が
ただ職人がやっていて
エンドユーザーにとって
敷居が高いお店しかない。
という状況で
もしかしたら、薄々みんな感じていたかもしれないけれど、
とはいえビジネスにできるようには誰も気づいてないし、
言語化できていなかった。
それを
絶対ニーズあると思うんだけど・・・
と恐る恐るやってみた。
そしたら
消費者にドンピシャなものが出来上がった!!
ある種、たまたま発明した!!!
と思いがちですが、
もちろんたまたまではなく必然で、
守井社長が
何か違うな、
と普段から思っていたり、
何かちょっとした違和感、
お父さんの時代から経営されてるのを
直近で見てきた感覚
などで普段から感じていたり、
そして下請けからの脱却しないと!
という危機感
それらの累積の何か
に対して解決策となるものを提示して
ビジネスとして世の中に示した。
その想いが爆発して交わった瞬間の、
大きなビジネスモデルの発明の瞬間なんだと思います。
この、
「埋もれたマーケットの見つけ方」
は実に参考になりますし
「職人が当たり前の業界」
「職人さんが接客をやってる業界」
「敷居が高い業界」
「技術ファーストな業界」
「下請け脱却=直受」
では同じように参考になるかと思いますし、
どんな業界でも
職人=技術
と
サービス=接客
の分離
また
ファーストフード化
というキーワードが
現代でもまだまだビジネスになる
いい事例だなあと思い
一つの気づきとして
みなさんの業界でも参考にしていただき
そして新たなビジネスへの進化
のきっかけとしていただければ幸いです。
岡田有史(ゆうじ)